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福岡地方裁判所小倉支部 昭和35年(わ)420号 判決

被告人 山中広

昭一一・八・一九生 クリーニング業手伝

主文

被告人は無罪

理由

本件公訴事実は、被告人は福岡県八幡市春の町六丁目において、クリーニング業を営む山中太七郎(明治二十七年五月十日生)及びその妻アサノ(明治三十六年九月二十三日生)の長男で、右両親及びその孫(戸籍上は養子)雅一(昭和三十二年三月三日生)と同居し、家業であるクリーニング業の手伝に従事していたものであるが、かねてから右家業を厭い殆んど仕事をしないので、右両親から常に仕事をするように意見されかつ叱責されていたところ、これを不満に思い両親との間に益々不和を生じ、連日怏々として日を送るうち、更に憤懣の情募り、かゝる不快な生活状態を維持するよりはむしろ右両親を殺害してこれに決着をつけ、併せて幼い雅一をも一人残すよりはむしろ殺害しようと決意し、昭和三十五年六月十四日午後三時半頃、前記自宅において、先ずひそかに炊事場より薪割用斧を取出して用意した上、これをもつて、同時刻頃前記自宅店舖板間に座つていた前記実母アサノに対し、その背後から、頭部をめがけて続けざまに三回位殴打し、引続き同所にいた前記雅一の頭部をめがけて二回位殴打し、更に引続きその場に馳け寄つて来た前記実父太七郎の頭部をめがけて、続けざまに六回位殴打したが、右アサノに対し治療に約一ヵ月間を要する頭部挫傷及び頭頂部挫創を、右雅一に対し治療に約二ヶ月間を要する左前頭骨開放性陥没骨折、左側頭部挫創を、右太七郎に対し治療に約一ヶ月間を要する頭頂部後頭部打撲挫創を負わせたに止まり、いずれも殺害の目的を遂げなかつたものであるというのである。

よつて按ずるに当裁判所において取調べた被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書、第一回公判調書中被告人の供述記載部分、山中太七郎、山中アサノの検察官に対する各供述調書、司法警察員作成の実況見分調書、医師浦橋商平作成の診断書三通、八幡市長作成の戸籍謄本を綜合すれば、被告人が、右記載のとおりの犯行を為したことは、認めることができる。

しかし、鑑定人中島健一、同向井彬作成の各鑑定書並びに第四回公判調書中証人中島健一の供述記載部分、証人向井彬の当公判廷における供述を綜合すると、被告人は、本件犯行時精神分裂病に罹患しており、その思考、感情、意思の面は統一した活動を営んでいなかつた結果、本件犯行は個々の心的機能の間の連関統一を失つたことにより生じた分裂病性の思考に基いて衝動的に為されたものであつて、正常な精神状態におけるものではなく、しかもその程度は、当時是非善悪についての判断能力はあつたにしても、それに基いて意思決定をし行動することは不能な状態にあつたものと認めることができ、然らば被告人の本件犯行は刑法第三十九条第一項にいわゆる心神喪失の状況の下に為されたものと断ぜざるを得ない。

なお検察官は、被告人の日常の生活挙動には通常人が、直ちに気づくような特に著しい異常は認められず、本件犯行前である昭和三十四年八月三十日に被告人は、第二種原動機付自転車運転試験に良好な成績で合格し、犯行時まで引続き原動機付自転車を運転して来たものであり、又本件犯行について見ても、被告人の当公判廷における供述並びに検察官、司法警察員に対する各供述調書によれば、本件犯行には計画性が認められ、その記憶は正確であること、及び、前記二つの鑑定には多少の喰い違いがある点等から、法律上は被告人が本件犯行時心神喪失の状況にあつたものとすることは相当でなく、心神耗弱の状態にあつたものであると主張するが、被告人には、本件犯行時も意識障碍はなく、是非善悪の判断能力もあつたことは、前記いずれの鑑定によつても認められるところであるが、被告人は本件犯行時精神分裂病のためその正当な判断に従つて意思決定し、行動する能力がなかつたことも又いずれの鑑定によつても認められるところであり、其の他本件に顕われた各証拠を綜合しても前記認定に支障を来すものはないので検察官の右主張は採用しない。

よつて刑事訴訟法第三百三十六条前段に則り被告人に対しては無罪の言渡をすることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 安仁屋賢精 富山修 近藤道夫)

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